ご挨拶

「自然や人を思う心」を胸に刻み、33歳で政治の道に入らせて頂いてから、市議3期、県議1期と経験を積ませて頂きました。。
振り返らせて頂ければ、この間多くの方々とのご縁を賜り、励まされ、手を引っ張って頂いたからこそ今の自分があると改めて感謝せずにはいられません。

大学を卒業後、これといってやりたい仕事も定まらず、民間企業や高齢者福祉施設、役所の臨時職員を転々としていた私に、人生の分岐点がやってきたのが28歳の時でした。
私の父の友人から「代議士の車の運転やポスターを巻いたりする仕事を手伝わないか」とのお声がけに、政治の世界を全く知らない私が人のご縁の不思議さで、なぜか飛び込んでしまったことからです。

しかし、自分が思い描いていた政治家・秘書像とは随分かけ離れた仕事内容でした。
帰宅するのはほとんど毎日夜十時過ぎ、休日・祭日ほど忙しく、政治家の仕事の厳しさと大変さを身をもって体験したのです。
そんな中、代議士宛てに届いた弘前桜まつりの案内状。挨拶の参考になればと弘前の桜の歴史を調べたことが私の政治の道へと進ませて頂くきっかけとなったのです。

「弘前城の桜は、当時の津軽藩士が京都の嵐山から二十五本のカスミヤマザクラを持ち帰り城内に植えたことが始まりと聞き及んでおります。

以後、この津軽の地でりんご栽培に大きく貢献した菊池楯衛氏や、市議会議員の内山覚弥氏、宮城県人会や多くの市民からの寄贈によって増え続け、二千六百本を数える見事な桜となったようです。

今やさくらの名所で名高い弘前市ではありますが、菊池楯衛・内山覚弥氏をはじめとする多くの市民が自己資金を使ってまでも、我々現代人に残したかった思いと願いの結晶が、弘前城の桜だったことを調べさせて頂いた時、私は本当に心を打たれる思いでありました。
彼らはいったい私達現代人に何を伝えたかったのでしょうか。
国内外からの観光客を迎える観光産業を造り上げるためだったのでしょうか。
決してそうではないと思うのです。

戦争や食糧難で嘆き苦しみ、荒んだ当時の世の中にあっても、後世を担う我々に対して、美しい桜の花を見ながら輝かしい明日に希望を抱き、常に前向きに歩んで欲しいという強い願いを伝えたかったからではないかと胸が熱くなりました。

こうした弘前の桜の歴史を知り学ばせて頂いて、私は子どものころから親や先生、そして社会に反発ばかりしていた自分を本当に反省しております。
そして、今の自分にできることは何なのかと問いかけてみた時、弘前の桜に負けないくらい美しい心で世の中のために尽くし働かなければいけないと気付き、政治の道を歩む決意をさせて頂きました。

私は、この初心を忘れることなく、弘前城の桜が教えてくれた「自然や人を思う心」をしっかりと胸に刻み込み、真剣に、謙虚に、迅速に、人のお役にたてることを喜びとしながら、これからも活動を続けて参りたいと思っております。
どうぞこれからも皆様のご指導をよろしくお願い申し上げます。